【山科聖天の諸堂本尊】


聖天堂 【本堂】

大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)

本堂は明治元年に、正二位清水(しみず)(だに)藤原(ふじわら)公正(きんなお)卿の寄進により建立された。
本尊は聖天堂の厨子内に納められた秘仏で中御門天皇 第二皇子 准三宮 公遵(こうじゅん)(法親王の念持仏である。
他にも武田信玄や多くの寺院や信徒などから奉納された他に類がない100体を超える聖天像(客天)も合祀されています。
その御尊像は、「聖天(しょうてん)さん」と称され、インドより渡来のヒンドゥー教の神「ガネーシャ」由縁の仏様で、十一面観世音菩薩と大日如来が力を合わされた大自在天として化身し、頭が象で体が人身という二体の抱擁身の姿で出現され「男女和合」「陰陽和合」の状態を示した密教の仏様です。

ご利益は現世利益が中心で、御本誓として「現世の苦を除き現世の幸福を増す」と説かれ、願いごとは、一心に疑うことなく聖天様におすがりして祈ることによって叶えられるという。法力が大変強大であらたかなことから、そのお姿は修行をした聖天行者しか拝むことができない秘仏(非公開)として信仰されています。願いごとは真言を唱え一心におすがりして拝むことでお経は観音経と般若心経及び真言を唱えます。

内陣中央部の赤い円壇の上には聖天(しょうてん)厨子(ずし)というおやしろがあり、真中に並ぶ厨子の中には御本尊が安置され、脇の厨子の中には修法として「浴油(よくゆ)」という油をかけて御祈祷する金銅の尊像が納められています。後壇の中心には、ご本体である十一面観世音菩薩を祀り、両ガラス戸の中には、創建当時から今日まで各方面からの奉納や預けられた聖天像(客天と云う)が100体以上安置され、その中には武田信玄が出陣の際、兜(かぶと)に入れていたと伝えられる聖天像も安置されています。お供物には、昔唐から我が国に献上された「お團(だん)」という独特の揚げ菓子を今日も日々供えています。

阿弥陀堂

阿弥陀如来(光坊の弥陀)

湖東三山の一つ西明寺(滋賀県犬山郡)から遷された、当院創建当時の本尊です。
平安時代中期に作られ、阿弥陀堂に安置されています。

不動堂

不動明王

不動堂に安置されています。
脇侍に四大忿怒像が安置されており、五大明王が構成されています。
1571年(皇紀2231)元亀2年の織田信長による比叡山焼き討ちのときに損傷した仏像の部材300以上を集めて造仏されたと言われています。
顔の左右は馬頭観音と愛染明王が合わさり、頭には如来のような螺髪(らほつ)があり、頭の頂点には楊枝状の部材100本が納められ 、他に例のない大変珍しい仏像です。
織田信長の焼討ちにより損傷した多くの仏像を当時の仏師が二度とこのような悲劇が起こらないよう祈りを込め、災難の種(たね)を護摩の炎により消滅させ、私達人間の苦しみの身代(みがわ)りとなって願いをかなえて頂けるという不動明王として蘇らせたものであると言われています。
1883年(皇紀2543)明治16年に比叡山の千日回峰行者 第24代住職が、比叡山無動寺より勧請し安置されました。

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