山科聖天について


小さい境内ですが、夫婦和合・子授け・財富の霊験あらたかだと評判。

シンボルとしている大根と巾着は聖天さまのお印で、大根は夫婦和合・縁結び、巾着は財福と子孫繁栄の御利益を現わしています。

【山科聖天双林院】

双林院(そうりんいん)は、山科の北部、毘沙門堂の北にある毘沙門堂の塔頭。
秘仏の大聖歓喜天(聖天さん)約100体の歓喜天が祀られており「山科聖天(やましなしょうてん)」とも称されています。
1665年(寛文5)公海大僧正によって毘沙門堂とともに建立された毘沙門堂門跡の塔頭です。山科聖天と親しまれていますが、明治元年に 公遵法親王 念持仏「大聖歓喜天(だいしょうかんきてん)」を本尊とする聖天堂が建てられました。「大聖歓喜天」聖天さんは仏教の守護神で、十一面観音とガネーシャ神( ヒンドゥー教の神)の化身の姿をしており、頭が象、首から下は人間という、二体が向かい合って抱擁されている陰陽和合の「男女合体神」です。厨子に納められ、直接お姿を見ることはできない秘仏として拝まれています。

【山科聖天の歴史・経緯】

<江戸時代>
1665年、公海により毘沙門堂門跡の山内寺院として創建された。
<近代>
1868年、聖天堂を建立し、門主・公遵法親王念持仏の大聖歓喜天を本尊とした。

<公海>
江戸時代前期の天台宗の僧
1607年(皇紀2267)慶長12年、父親 花山院忠長、母親 東本願寺教如の長女のもとに生まれる
1620年(皇紀2280)元和6年、天海に師事
天海の死去の後に、寛永寺を継ぐ
天海の遺志を継いで、毘沙門堂を復興した
1695年(皇紀2355)元禄8年、死去する

<公遵法親王>
輪王寺五世。
中御門天皇の第二皇子。母は清水谷実業の娘 清水谷石子
天台座主となり、三后に准じられる。
一旦辞職して隨自意院と号されるが、公啓法親王の歿後再任し、再び退隠され隨宜楽院と改められる。
(生年月日 ) 享保七年一月三日 (1722/2/18)
(没年月日) 天明八年三月二十五日67才 (1788/4/30) 毘沙門堂
(墓  地) 双林院北側 毘沙門堂内輪王寺宮墓地
享保十六年九月十八日 1731/10/18 入室(毘沙門堂)、得度(公遵)
元文三年三月九日   1737/4/8 輪王寺門跡継承
延享二年五月二十六日 1745/6/25 天台座主
宝暦二年八月二十一日 1752/9/28 隠居(随自意院宮)
明和九年九月二十二日 1772/10/28 輪王寺門跡
安永九年三月二十一日 1780/4/25 隠居(随宜楽院宮)

【 山科聖天 の伽藍】

<鳥居>

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秋の紅葉に包まれた山科聖天の鳥居

<山門>

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雪化粧が美しい冬の山科聖天の山門

<聖天堂>
山門を入って右側に立っている
ヒンドゥー 教の神であるガネーシャ由縁の秘仏 大聖歓喜天(聖天)が祀られている。約100体の歓喜天像(男女和合の状態を表現した仏像)が合祀されている

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門を入ってすぐ右にある本尊大聖天歓喜天像が祀られる聖天堂

<不動堂>
山門の正面に立つ
中央に比叡山より勧請された不動明王(五大明王)、向かって右に准胝観世音像、左には弁財天女が祀られている
堂の中で大護摩が焚ける構造になっており、屋根の最上部が煙突になっている。
1883年(皇紀2543)明治16年の建立

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門を入って正面にある不動堂
由緒めずらしい本尊不動明王は比叡山無動寺より勧請

<阿弥陀堂>
西明寺(滋賀県犬山郡)より勧請された阿弥陀如来が祀られている。お盆・両彼岸施餓鬼会法要時のみ公開。

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<不動の滝>
不動堂の右奥の崖下には、一本の清らかな滝が落ちています。右に石造りの「お滝不動」がお祀りされており、石不動明王のお姿を拝むことができます。不定期で滝行体験も行っています。

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<稲荷大明神> (荼枳尼天)

<正一位八ッ房龍神> (歓喜天守護神)

<正一位太郎須大明神> (歓喜天守護神)

<地蔵菩薩、門前脇>

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