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伝教大師と聖徳太子

二〇二二年は天台宗の宗祖伝教大師最澄上人が没後一二〇〇年、聖徳太子((うまや)(どの)皇子(みこ))が没後一四〇〇年という節目の年となります。昨年より伝教大師や聖徳太子の大遠忌事業が多く予定されていましたが、新型コロナウイルス感染症の拡大により中止や延期が相次ぎました。伝教大師がお生まれになったのは聖徳太子没後約一五〇年後ですが、今から一五〇年前というと明治初期ですから、聖徳太子の活躍は伝教大師にとっては身近なものだったでしょう。

聖徳太子は篤く仏教を信仰し、『法華経』を大切にしていました。『日本書紀』には推古十四(六〇六)年、太子が「法華経」などを講じたと記しています。

聖徳太子は法華経の注釈書をつくり仏教精神にもとづく十七条憲法を定められました。また身分にかかわらず優秀な人材の登用を可能とするため冠位十二階も制定されました。

憲法十七条には、要約して一部抜粋すると次のように書かれています。

第一条 和を以て貴しとし、(さか)ふること無きを(むね)とせよ「和の尊重」

第二条 篤く三宝を敬え「仏教の信仰」

第三条 詔を承りては必ず謹め「朝廷への服従」

第四条 礼を以て本とせよ「礼の尊重」

第五条 訴訟裁定の公正

第六条 勧善懲悪の徹底

第九条 「信」の尊重「真実を尊重」

第十条 怒りを戒める「意見の相違があっても認める」

第十三条 職務代行の心得「他の仕事も覚え代務執行できるよう備える」

第十四条 嫉妬を戒める「嫉妬は対立しか生まない」

このように憲法十七条は役所の勤務規定であり、国家運営の基盤となる役人に誠実に勤務することを望まれていたと思われ、今の時代にも通用する内容になっています。

官人として一番大事なものは一条から四条で、第一条の為に第二条があります。和が大事であるが人同士はなかなか和を結ぶことができない。そのための手段として仏教への帰依を訴え、逆らうことなく「和」を構築することを求められました。

伝教大師は、天台大師智顗(ちぎ)の師匠である慧思(えし)の生まれ変わりであるとされた聖徳太子を敬愛し、自らを「聖徳太子の弟子」と表現されていました。その聖徳太子が大切にされた『法華経』を中心とする天台の教えを日本全国に広めるために、伝教大師は中国へ渡り天台の教えを学ばれました。帰国後、八〇六年に天台宗を開宗、八一六年に四天王寺聖霊院に参詣されたことが知られています。

当時の奈良の仏教は、修行をした者、能力のある者など最初から救われる者が決まっているという、仏となるための乗り物が小さい「小乗」の思想でしたが、伝教大師は中国で学ばれた円教(法華経)・密教・坐禅・戒律により、誰もが仏になれるという教え「大乗」の思想を日本の風土に融け込ませられました。

伝教大師もまた天台宗僧侶の修行規則として『山家学生式』を書かれています。そこには「国の宝とは仏道を極めようとする道心のことをいう。この道心を持つ人はこの社会にとってなくてはならない国の宝となる。社会の一隅で精一杯精進して周りの人を照らすような一隅を照らす人材は国宝である。また、人がやりたくないことを率先して引き受け、良いことは先に他の人に譲るような、己を忘れて他を利する行いは慈悲の極みである」と書かれています。

伝教大師は生涯をかけて人々を導き、国を護ることのできる菩薩としての僧侶の育成のために尽くされました。仏教の教えが世間に行き渡れば人々が正しい行いをするようになり国が護られると考えられたからです。

聖徳太子も伝教大師も国を良くしていくには、仏教を基とした人材の育成が最重要であると考えられました。国を良くするには人を良くしなくてはなりません。科学技術の発展が如何に進もうとも一四〇〇年前も今も根本的な社会の規範は変わっていないように思います。

国の宝となるにはどうしたらよいのでしょうか。

ごみ拾いSNS「ピリカ」という、世界中でごみを減らす活動に利用されているアプリがあることをご存じでしょうか。最近SNSにおける誹謗中傷の問題が取り沙汰されていますが、SNSは使う人によって良くも悪くもなります。

ごみ拾いSNS「ピリカ」はごみのポイ捨てによるごみの自然界流出問題の解決を目指して、二〇一一年に京都大学の研究室から小嶌不二夫氏によって世に送り出されました。SNSピリカを通じたごみ拾い活動の輪は全国、全世界へ加速度的に広がり、今年に入り世界百十一カ国、二億以上のごみ拾い活動が発信されています。

使いかたは簡単で、ごみを拾ったら次のような手順で進みます

  • 写真に撮ってピリカに投稿、世界中にごみ拾いの活動を発信
  • 投稿に対し、「ありがとう」やコメントを送りあえる
  • 社会貢献活動の成果が、具体的な参加人数や拾ったごみ数の数値とともにグループ内外に発信することができる。

このようなアプリを使った取り組みも一隅を照らす活動と言えるでしょう。ごみ拾いを発信すると相手から感謝され、拾った本人が感謝の光で照らされます。その光は他の人へと伝播していきます。

ゴミ拾いをして一隅を照らす。体が少し疲れているけど電車の席を譲るなど、一隅を照らすことも己を忘れて他を利することも特別なことではありません。

伝教大師は亡くなる少し前に弟子たちに自分のために仏を作ってはいけない。経を写してもいけない。私の志を述べなさい。と伝えられました。

どのような因縁か、この節目の年に新型コロナウイルスによって国民に未曽有の困難が降りかかっています。大遠忌事業も縮小を余儀なくされてしまいましたが、伝教大師は「負けずに私の志を述べなさい。」と言われているような気がします。国や社会を良くすることは私たちの幸せな生活に直結します。様々なアプリを利用するなど、時代に合わせて身近なできることから始めてみると良いでしょう。私もまずはゴミ拾いから始めてみようと思います。

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