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盂蘭盆会と施餓鬼会

「盂蘭盆会」とは、『盂蘭盆経』に、お釈迦様の高弟目連(もくれん)尊者が、亡くなった母が自分に対しては優しかったが、他人への施しが足りなかったことから餓鬼道で苦しみを受けていることを神通力で知り、助けようとしたが叶わず、お釈迦様に相談ししたところ、旧暦7月15日に夏の修行を終える僧侶達に供養を捧げると、その功徳によって母を救える。と、教えを受け、その教えにしたがって目連尊者は善徳を積み回向供養(えこうくよう)をして自らが得た功徳を母に回し向けたところ、母が餓鬼道から救われたと記されており、仏教での先祖供養の原点になっています。

「盂蘭盆」とはサンスクリット語の「ウランバーナ(逆さにつるされた状態)」の音写です。言い換えると煩悩により人間として正しい生き方ができていない逆さ吊りの状態になっているというものです。ものの見方や考え方が自己中心的であると、貪りや怒りにより心の迷いを生み、人と争いを起こす。その心の状態が「逆さに吊るされるような苦しみ」になります。この故事以来2500年以上先祖供養としての行事は続いています。

また、「施餓鬼会(せがきえ)」とは、お釈迦様の弟子の阿難(あなん)尊者が、餓鬼に死を予告された際に、お釈迦様の教えに従って、陀羅尼(だらに)を唱えながら餓鬼に食事を施したところ、その功徳によって餓鬼が救われ、阿難も寿命を延ばすことができたという説話に基づいて施餓鬼会が行われるようになりました。

仏教には六道と呼ばれる世界があり、その一つに餓鬼道があります。生前の自らの悪行(煩悩にまみれ他に施さない)により餓鬼道へ落ちると、餓鬼となり口にしようとするものは忽ち炎と化し、何一つ食べることが出来ず飢えの苦しみには際限がない。
自分の力ではこの苦しみから脱することが出来ない餓鬼に、食べ物を施そうというのが「施餓鬼供養」です。

施餓鬼供養では、ご先祖様、三界萬霊の塔婆を立て、沢山のお供え物をして、あらゆる餓鬼に施しをします。その功徳を施主本人が得て、死後の極楽への道を得、その功徳を先祖にまで回し向けることにより先祖の追善供養も行う。というものです。

先祖と一緒に餓鬼供養も行うことで更に徳が積める。という考え方からお盆や春秋彼岸会で追善(ついぜん)供養として施餓鬼会が行われます。「追善」とは、故人が生前できなかった「善行」を、遺された者があとから「追って」代わりに実行する、という意味です。残念ながら亡くなった方は、二度と還ってきません。今、生きる者としてできることは、先立った人々への供養だけです。「霊」は自分の中にある、連綿と受け継がれた先祖の命のことをいいます。先祖から受け継がれ集積された無数の命が自分自身であり、その血脈は自分の中に「生きて」います。

先祖が望むことは子孫の幸せです。

お盆行事を機縁に自分のものの見方・考え方を正して、自己中心的な考え方を捨て、他と調和した生活をおくる。そしてご先祖から自分への、命のつながりに気づき、先祖への感謝の念を強く持たれることを願います。

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